2007年4月30日

ベンチャー転職→倒産

 A社(仮名)はベンチャーとはいえパッケージ販売で安定収入があったりして安定してるような感じの会社。

 しかし、入ってから知ったのだが、倒れかけて人員総入れ替えぐらいの勢いでリセットされた後だったらしい。


 それはともかく、最初の仕事はMFC(VC++5.0)だった。ボクは「バリバリC言語」だったが、GUIに弱いし、オブジェクト指向も弱かった。当初、MFCは辛かった。ほとんど習作状態で作っていた。それでもいい勉強にはなった。

 A社では古いSUNのマシンがWeb,メールサーバとなっており、部長が直々に設定して運用していた。インターネット接続はクラスCを持っていて、全クライアントPCにグローバルアドレスが振られており、しかもパケットフィルタを設定していなかった。もちろん、メールサーバーは第三者中継可能だ。すんごい時代だった。

 ボクはほとんど勝手に、余剰PC(古いSUNより高速なPC)にLinuxをインストールし、Webサーバやメールサーバを移行していった。ルータ(RT100i)のパケットフィルタも設定した。

 その後、ケータイ向けサイトを手がける。DB初挑戦でOracle、Java初挑戦でJavaServletと、すんごいことになっていたが、そのときが人生で一番スキルアップしたような気がする。

 この会社では英語のドキュメントを読まされたり、JavaとかVC++とかPerlとかASPとかOracleとかいろいろやらされて、勉強になった。と思う。どんな言語でも仕事できまっせ、と言えるぐらいに成長した。

 しかし、A社は倒産しそうになる。倒産確実の頃、どんどん社員が辞めていく。ファイナンス的に倒産は確実のようだ。しかし仕事は存在する。(仕事があるのに倒産しそうになる理由がボクには分からないのだが)

 倒産したときに、A社に仕事を頼んでいた会社は困るであろうことが予想された。大口の仕事はできないが、こまごまとした仕事は請けられるだろうと思った。

 社内で、立ち話レベルで、別会社作って継続しちゃえ! と共謀していた。それが先に出てきた営業さん。2人で退社してB社(仮名)を設立した。そして、うまいことA社の外注として目ぼしい仕事に着手して、うまいこと取引先に顔を覚えてもらい、ついにA社が倒産した。

 引き継いだ仕事の中に、某有名外資系スポーツアパレルメーカーの仕事があった。A社が開発した発注業務システムの保守である。

 この仕事は継続収入源としてオイシかった。取引先のネームバリューとしてもオイシイ。

 去年の春までは、その仕事がメインの収入だった。しかし、本国トップダウンでのERPパッケージ導入方針に伴い、既存システムを捨てることになり、B社も捨てられてしまった。本国指令じゃ打つ手が無い。

 その時点でB社の将来性は低くなる。3年やっていて、メインの収入源がそれだけだったからだ。他に柱が育っていない。

 それでも何とかなるかなぁと思って、ダラダラと手を打たずに今に至ってしまった。甘かった。


 派遣で常駐仕事をすれば食うには困らないだろうと思う。そして、そんな仕事はこのWeb2.0の時代にあっては、ボクがサラッと検索すればいくらでもある。

 ステップアップするなら、2007年問題の今なら大企業に華麗に転職するのが一番オイシイ道だろうと思う。弱めの学歴を補完する為に高度情報処理試験も受けてきた。そして、転職は35歳までがひとつの区切りだろうと思う。それにはもうあと1年しかない。

 そもそもボクはこの「超・売り手市場」になるのを大学生時代から待っていたのだ。80:20の法則でいうと、今まではどうでもいい80%の時代であり、今年度は最適化すべき20%の時代である。34年に対して1年だから、3%ぐらいの最適化ポイントかもしれない。とにかく今年の行動がボクの一生を決めてしまうのではないかという、一般人なら受験生時代のような気分でいるのがボクの現状だ。日経の1面に、2007年問題ネタ(売り手市場ネタ・正社員増加ネタ)が登場するたびに焦らされるボクがいる。

 ということで、今の仕事は頃合を見計らってフェードアウトさせようという気満々のボクを、誰か青田買いしませんか?? 条件は馬場乗換+20分ぐらいまでの勤務地でよろしく(w

Posted by rukihena at 01:40:59 | Comments [2] | Trackbacks [0]

2007年4月25日

就職→転職

 最初の会社はまあ普通の会社を目指している会社であり、普通に新卒採用して3ヶ月の新人教育して、その後はOJTというごく普通の流れだった。

 だが、最初に入れられたプロジェクトが普通じゃない。すでに終わっていなければならないはずの、デスマーチプロジェクトだった。

 過去の遺産を流用するため、アセンブラを使い続けていた。そして実機が1台しかなく、テスト可能なのも1人だけ。

 遅れているので、人海戦術ということで人だけは大量にいる。机上デバッグだけしかしてないアセンブラソースが増えていく。人が多いのでモジュール間の整合性が取れていない状態で、1人がデバッグしている。

 実機が1台というのがボトルネックだ。これを改善する素晴らしい案が実行された。それは、「2交代制」。

 AM9時〜PM9時 の人と、PM9時〜AM9時 の人とで交代して利用すれば効率2倍!

 デバッグしている人はスゴイ人で、バグを発見すると16進ダンプ上でプログラムを書いてしまう。しかし、これが問題だ。デバッグした内容をソースに反映させるのを忘れてしまうことが発生するのだ。これの再発見に時間が掛かる。それを排除するためにはどうしたらよいか。などと、外野の偉い人は議論していた。

 そんな状況を、適当なアセンブラソースを書きながら1年半ぐらい傍観していた。

 バグ曲線の捏造とかもしてたな。適当に揺らぎを入れたつもりなのに、「曲線がキレイ過ぎる!」と怒られたりしながら。

 1年半ぐらいして、プロジェクトを変えてくれー! と言ったら変えてくれた。次は次世代携帯電話(の基地局(の制御装置))のプロジェクトだった。

 無理に変えてもらったので、作業場所が遠かった。新横浜になってしまった。プロジェクトがさらに進むと横須賀になってしまう恐れもある。

 巨大プロジェクトの末端で、成長しないまま「華麗に転職」の機会を失っていくのだろうなという危機感だけが増幅されていった。

 それと、この会社、組合によると、30歳前後の給料が世間一般より低いらしい。

 ということで、2年経たずにあっさり転職。(まだ「華麗に転職」ではない)


 次も、希望は「ソフト関係で、高田馬場か西武新宿付近」だった。リクルートエイブリック(現リクルートエージェント)で探してみた。

 最初はメジャーどころに挑戦してみたくなる。Aplixもあったが、エージェントに「そこはスゴイ人しか入れないよ」と言われてしまった。今思えば、「いや、私もスゴイんですが!」と言っておけばよかった。

 一方、ACCESSは受けさせてもらえた。似たような2社だけれども、そんなもんなんですかね。

 しかし、ACCESSは失敗した。最初に行ったのがACCESSであり、なぜか面接と試験を勘違いしていて面接の傾向と対策をしていない状態で面接を受けて撃沈した。「長所は?」と聞かれて考え込んでいたら、「君ね、面接というのはね・・・」と説教モードになってしまった。貴重なお時間をとらせていただいてすいませんでした。

 場所が遠いからまあいいや、とかも思っていて油断しすぎていた。

 当時は実家に住んでいて、高田馬場まで出るだけで1時間以上かかっていた。一人暮らしをして(家賃を払って炊事洗濯の面倒をして)勤務地自由度を上げるよりも、実家のまま勤務地を近くしたほうが、幸せな人生になるだろうと考えていた。

 心を入れ替えて、本命どおり、社名を気にせず高田馬場徒歩5分以内で検索しなおした。実際にはそんな検索条件を指定できないので目で探すことになる。不動産の検索みたいに「駅で検索」とか「路線で検索」とかの機能も欲しいと思った。(実際に、アンケートにそう書いた記憶がある。)

 で、めでたく高田馬場徒歩5分のベンチャー企業に入社した。

 眠いのでまた次回に続く。

Posted by rukihena at 23:04:26 | Comments [2] | Trackbacks [0]

2007年4月23日

中学生から就職ぐらいまで

 ボクは中学生の頃から頑張りやさんではなかった。

 「もうちょっと頑張れば、地域トップの公立高校に」という程度の成績だった。そこで頑張って地域トップの高校に行くと、2番目の高校よりも遠くなってしまう。しかも男子校であり、嫌いなプールがある。頑張るインセンティブが全く無い。

 ということで2番目の高校(共学・プールなし)に入学した。

 高校時代も頑張ってなかった。六大学未満の大学の優劣がどうのこうのというレベルで頑張っても最適化効果が無いと思ったからだ。当時からすでに、ソフトウェアか、突き進んで電子系に行こうと思っていたので、大学名からして理系であることが分かる大学なら何でもいいかなと思っていた。三流総合大学名よりは分かりやすい履歴書が出来上がるだろう。

 そんでもって、略すと「なんちゃって東工大」になる某私立大学の電子工学科に進んだ。「ハードも分かる」をアピールポイントにしたかったということになっているが、実は情報工学科の方が人気で、偏差値が高かったから。というのが本当の理由である。

 しかし、合格できたのはまぐれだったと思う。センター入試が始まった頃で、私立のセンター利用も始まったばかりだった。センター試験の受験会場で友達に会ったとき、「イシハラも国立受けるんだ」と言われた。「いや、そんなの無理だよ」と答えると、「え、じゃあ何でセンター試験受けるの??」と真顔で聞き返された。試験制度を知らずに受験戦争に立ち向かっているのかお前は。と思った。

 ボクは私立大学でもセンター利用の入学試験を行っており、知名度の低さから穴場であることを知っていた。

 それと、基本的に興味があることしか勉強しないので、覚えたことは確実に覚えている。定期テストで一夜漬けして成績が良くなり、頭が良くなったと勘違いしているヤツラとは違う。そんなボクは、出題傾向が基本に忠実であるセンター試験において、高めの成績が出ることを知っていた。

 定期テストの成績が悪いので、担任は現役合格は無理と思っていたらしい。ボクが合格したことに驚いていた様子だった。

 高校卒業/大学入学の年はバブル崩壊の年である。就職がまだ先で良かったと心底思っていた。4年もすれば景気も回復するだろうと。

 しかし、一向に景気が回復しない。回復どころか、悪くなる一方だ。

 大学は大卒フラグを立てるためだけに行くと決めていたので、ギリギリ単位が取れる程度に勉強していた。Aが付くと、「もったいないことしたな」と本気で思った。AかDしかつけないと言われている一般教養の法学でCを取ったときは嬉しかった。

 そんな成績だったことと、景気が悪いので、いわゆる一流企業は無理だろうと思った。でも、在学中に情報処理1種を取ったし、まあどっか拾ってくれるところはあるだろうと思っていた。

 どっかで拾ってもらって、景気回復局面で華麗に転職するのがいいよなぁと、気楽に考えていた。いまがむしゃらに頑張ったところでたいした違いは無い。変にいいポジションに収まっちゃうとそれを維持するのに苦労しそうな気がしていた。景気は必ず回復するし、ソフトウェアの重要性はますます増していくだろうし、ハードも分かる技術者ならなおさら貴重になるんじゃね? と、思っていた。

 で、就職活動をマジメにやっていなかったら、大学の就職科から呼び出しを食らった。

 就職科で「ソフト関係で、高田馬場か西武新宿付近(乗り換えは面倒!)」と言ったら、希望通りのがあった。

 で、難なく内定が出た。就職してからの話はまた明日。

Posted by rukihena at 23:04:24 | Comments [0] | Trackbacks [0]

2007年4月22日

個人事業主になりました。

 「用賀に用が」とか書いていた仕事が終わった5月末から、水道橋ネタ(12月)までの 6,7,8,9,10,11月は働いていなかった。

 当然、給料は出ずに貯金を取り崩す日々が続く。それが可能なのも半年限りだ。ちょうど底を打ちそうな11月、車検が来る。車検は必要な整備を先送りした上、支払いもクレジットカードで先送りした。

 営業さんが仕事を持ってこないので、自分で探して個人事業主になろうと思った。「全部捨てて逃げるのか?」と言われれば、「ハイそうです。」と答えるしかない。しかし全部というのは、給与未払い分相当の貸付金もチャラにするということだ。なんて優しい俺。

 それが屋号について考えていた頃である。

 で、知り合いに「なんか仕事ない?」とメールを書いてみた。このブログによくコメントしてくれる川崎個人事業主さんだ。

 そしたら某移動体通信キャリア系の仕事と、某HDDレコ(企画のエライ人がアニヲタで有名なアレ)の仕事があるという。「青梅線の奥地よりは溜池だよな」と思い、「溜池方面で」と返事をしてみた。(某HDDレコは某先輩とカブルので小っ恥ずかしいというのもあった。)

 その翌日。営業さんから仕事の電話が来た。○| ̄|_

 で、しょうがなく水道橋に通うことにした。もちろん、条件が悪かったら逃げるつもりだったが、営業さんも働いて2人月もらって分配という話だったので、まあそれならいいかと思った。最初は常駐だが、後で持ち帰りという話しだし。

 しかし、失敗だった。ものすごい勢いで「未払い給料払え!」と言って、「無理なら断る!」とか暴れればよかった。

 働きはじめても支払いは当然のごとく翌々末であり、「家計繰り」が続かない。車検代をリボチェンジしつつ、子供のための定期預金まで取り崩しつつ、何とかしのいだ。

 しかし、営業さんが約束していた「一緒に働く」のスタートが遅れ、いつまで経っても現在に至ってもサラリーマン給与並の金しかくれない。しかも社会保険に未加入なので国民年金やら国民健康保険は自腹だ。そのうえ持ち帰り仕事になってない。電車賃も自腹。通っても仕事の話をしない日があったりすると本当に頭にくる。ひどいときは朝から晩までボク一人の場合があった。一人でいると暖房の能力が足りず、風邪をひいてしまう。

 ギリギリの生活を続けていて、車検代はリボだし、車検時に必要だったプラグ交換とエアクリ交換とブレーキパッド交換をケチっていたのでそれもどうにかしたい。アンダーカバーが外れたまんまなので、それもどうにかしたい。そして5月には自動車税の請求が来る。自動車保険の更新も来る。住民税の控除額が減ったことを知らずに額面給与を設定したために住民税が上がり、それに連動して国民健康保険や保育料まで上がってしまう失態の影響が出始めるのも今月からだ。

 とか考えていたら何もかもイヤになった。

 「イヤだー」と発言するのは電話代が掛かるので、ストライキしてみた。そのうち営業さんから電話が掛かってくるだろう。

 電話が掛かってくるまでに3日掛かった。で、常駐の上に支払いが少ないので辞めますと言って電話をブチっと切った。話していると丸め込まれそうだと思ったからだ。

 それから再度電話が来るまで時間が掛かった。この間は不安だった。次のアクション(求職活動)を起こすキッカケがつかめない。しかし、ここはガマンだ。

 1週間連絡が無かったら「辞めてやるー」が受理されたものとする、と思っていたのだが、ちょうど1週間後に電話が来た。みんな大体似たようなことを考えるものだな。そして、電話じゃアレだからちゃんと会って話をしようと言われて2日後、会って話をした。予想外に時間が掛かってしまった。


 とりあえず大人の対応で、この仕事は続けるが、個人事業主としてジョブごとに「何割」とか「いくら」とか決めて契約しましょうという話にした。

 何割にするかは勝負どころだ。営業さんも「友達から借金してて」とか泣き言を言うが、そこで情に流されてはいけない。ボクからも借金してるようなもんですよ!

 ってことでかなり強気に勝負した。というか勝負に負けて退職の方を希望してるんですが。どっちに転んでも技術者のボクが圧倒的に有利であり、強気の割合のまま商談が成立した。


 というわけで、今月から個人事業主です。

 今後はデスマーチ時に再度ストライキを起こせるよう、契約条件の不備を探すのがメインの仕事になります。人間、カネが無いと悪者になれるものですね。ここで、デスマーチが発生することが想定の範囲内なのがポイントです。

 営業さんの名誉のために付け加えておくと、仕事を獲得するためにものすごい努力をしていたし、交際費(飲み屋代)の支払い負担も大きかったとのことです。


 というのは、全部フィクションです。ということにしておこう。

Posted by rukihena at 23:38:00 | Comments [0] | Trackbacks [0]

2007年4月21日

免許更新で府中まで自転車で

 運転免許証の書き換えに行った。

 車で行くか、バス→電車→バスで行くか、自転車で行くか悩んだ。

 府中の運転免許センターには、田無に住んでから2回行ったことがある。その2回とも車で行った。

 車で行くと、確実に駐車場待ちになるのだが、待てば入れる。もっとも楽な方法だと思う。

 バス→電車→バスは苦痛だ。まず、バスに乗るために自転車で移動しなければならない。苦痛だ。運賃も掛かりまくる。

 バスカードを消費したいのと、たまにはバスの苦痛を味わうのもいいカナとも思ったが、苦痛を買う行為はしたくない。「苦労は買ってでもしろ」というのは高度成長期のみに通用するコトバだと思う。

 自転車はどうか。

 免許センターは野川の向こう側にあり、すなわち国分寺崖線の向こう側であり、すなわち急坂の向こう側だ。自転車は急坂に弱い。

 でも、自転車で行ってみた。バス電車の苦痛に比べたらよっぽど健康的な労力の使い方だろう。

 距離としては吉祥寺までよりは近く、三鷹相当だろうか。吉祥寺に行った実績はあるので、問題ないだろう。急坂は押して歩けば大丈夫かな。ノートPCなどの荷物も必要ないし。

 で、Google Maps をプリントアウトした地図を見ながら行った。行きは下り坂だからラクだ。

 そして2時間講習。

 例によって眠気覚ましの質問攻撃の時間がある。今回は駐車違反取締りがどう変わったかを質問するものだった。テキストのこのページを見て、と言ってから質問したにもかかわらず、何が変わったかを答えられる人間が少ない。

 まず出たのが、「見つかったら即違反」。よほどこれのインパクトが強いのだろうか。

 次に出たのが、「民間委託」。デジカメ持った2人組を見ることが多いので記憶に残るだろう。

 10人ぐらい質問して最後に出てきたのが、「使用者責任」。これは知ってないとポイントゲットにつながってしまうのでぜひ知っておくべきだろう。現行の法律では、道路はすべて、1回15000円の駐車場である。ただし、回数制限があるので注意。ポイントゲットとのバランスを考えながら上手に道路を利用しましょう。

 そうそう、 追加料金を払うと+29km/hまで可能な高速道路にもなる。便利ですね。支払いで時間メリットが無くなるというか、むしろマイナスになる点がかなり使えないですが。

 講習が終わって、IC免許証発行。これは妻ので確認済みだから、特に感慨深いものは無い。


 行きは東側からアプローチしたが、帰りは西側から帰ってみた。

 地図で見ると通れるのか通れないのか不明な感じなので、帰りに挑戦してみたかった。行ってみたら自転車までは公園敷地内を通れる。

 だが、その先の経路選択が微妙で、わざわざコチラを通る必要も無いかなと思った。国分寺崖線ジャマ杉。坂は内装三段のローギヤ&立ちこぎで乗り切った。疲れた。

 でもまあ、3年後も自転車で行こうと思った。僕の場合は特に4月が誕生日であり、季節がいいし。

Posted by rukihena at 22:32:01 | Comments [0] | Trackbacks [0]

2007年4月15日

情報処理技術者試験 テクニカルエンジニア(情報セキュリティ)参加

 秋のセキュアドは見事に寝坊したが、今回は華麗に起きれた。

 会場は明治学院大学。微妙に遠い。申し込みを遅らせたからだろうか。申し込みを遅らせたのは、その方が同じ教室内での欠席率が高くなると思ったからだ。

 去年のテクセは受付開始直後に申し込んだためか、異常な低欠席率であり、トイレも輻輳していた。

 今回の試みは成功したようだ。前後とも空席。隣が来ていたが、午前の退室可能時間になったら速攻消えて、午後は姿を見せなかった。


 明治学院大学と明治大学って別物だろうか? と思って調べたら別物だった。理系学部が無いのに、なぜ会場になっているのだろうか。

 明治学院大学は白金にある。最寄り駅は白金台7分 or 白金高輪7分 or 高輪台7分 という微妙な場所。

 最速ルートは、山手線で目黒→南北線or三田線で白金台 である。しかし、JRとメトロを乗ると初乗り料金がもったいないので、東西線で飯田橋→南北線で白金高輪 というルートを選択した。これで90円の得だぜ!

 帰りは別の道を歩いてシロガネーゼ気分をトッピングしようと思い、白金台から乗ってみた。

 白金台は三田線と南北線が混ざっており、来た電車が三田線なのか、南北線なのかを確認しなければならない。そのことは知っていた。知っていたのに、乗るときにはすっかり忘れていた。忘れていても白金高輪で気づけば問題ないし、運がよければ白金高輪で待っている電車があるかもしれない。

 

 とか思いつつ、京ぽんでテクセスレを見ていたら三田に着いた。


 や っ ち ま っ た ー ー ー ! !


 そのまま乗って、大手町で東西線に乗り換える手もあるが、都営線とメトロに乗ったことになるので初乗り料金がもったいない。ここは引き返すべし。

 で、引き返して白金高輪で降りて、ホーム対面に来た電車に乗った。

 これで一安心。

 と思ったら、それって同じ方向の電車じゃねーか!! また白金台に着きましたよ!!!

 もう面倒になって、目黒に行くことにした。


 目黒では埼京線(山手貨物線)を見て、「埼京線の反対側が新宿方面だよな」と思った。

 が、アナウンスは「品川方面の」とか言ってやがる。アレ? 方向感覚が狂ってる??

 山手線と埼京線は恵比寿−目黒間で入れ替わるのね。あやうくミスを連発するところだった。アナウンスで気づいてよかった。

Posted by rukihena at 22:13:46 | Comments [0] | Trackbacks [0]

2007年4月10日

Debian GNU/Linux 4.0 etch インストール

 とりあえず、VMWare上にインストールしてみた。

 デーモンが全然起動してないのは最近の流行だな。
 net-inst でインストールして、思わず ssh をインストールした状態で、ディスク使用量 430MB(430604KB)。

 今日はここまで。明日以降は・・・放置の予感。

Posted by rukihena at 00:56:52 | Comments [0] | Trackbacks [0]

2007年4月 9日

Debian GNU/Linux 4.0 etch リリースキテター

 ということで、ダウンロード中。

Posted by rukihena at 00:39:40 | Comments [0] | Trackbacks [0]

2007年4月 3日

都知事選

 前々回の都知事選は埼玉県民時代であり、選挙権が無かった。

 前回の都知事選は、投票するまでも無く続投だろうなと思った。

 今回は厳しそうだ。なので投票に行く。人生3度目の投票だろうか。1度目、2度目は市長選だった。


 今回の選挙での見所は、現職批判票がどこに行くかだろう。対立候補が複数がんばればがんばるほど、批判票が割れて現職有利に働く。

 建築家さんにがんばってもらいたいところだ。

 YouTubeで大人気の泡沫候補は、たいした影響は無いだろう。これに影響される有権者はもともと選挙に行かないやつらであり、投票率向上には影響するかもしれないが、他候補の得票絶対数には影響しなさそうな気がする。

 ところで元足立区長のビラ、都営住宅1000戸建築の予算が55億円と書いてある。5500000000/1000=5500000って、1戸あたり550万円ですか??

Posted by rukihena at 23:41:42 | Comments [0] | Trackbacks [0]

2007年4月 1日

ブログの更新疲れた

 書いてもアクセスは少ないし、コメントも少ないし、コメントの返事も面倒だし、アフィは稼げないし。

 何にも良いことねー。

 つーことで、しばらく更新はお休みします。


 ・・・という程度のネタしか思いつきませんでした。

Posted by rukihena at 00:47:10 | Comments [2] | Trackbacks [0]