2005年8月14日
中学同窓会
中学校の時の部活のメンバーで飲みに行った。
所属は男子バレー部である。同学年の部員は16人いるので、6人スタメン、6人ベンチ、4人応援係という役割分担になるわけだが、身長178cmという比較的高身長のボクなのに応援係だった。身長以外がダメダメだったのだろう。なぜ最後(3年夏)まで辞めずに居たのか、不思議である。
今も地元で暮らしている人が多い。
どこに住んでるの?
田無。
へぇ、都会ジャン。
いやね、おまいらね、都会っつーのは少なくとも23区内じゃなきゃね、練馬区でさえ練馬大根よばわりされてしまうんだからね・・・。
そんなボクも中学生の頃は、国道16号より内側は都会だと思ってました。すいません。
バブルの余韻が残る時代、高校卒業時に就職した人が一部上場企業に勤めていたりして、時代の変遷を感じさせる。ボクも普通科じゃない高校に行って・・・という人生を選択しようかと思ったことがあるが、「もったいない」という周囲の大人のご指導で、偏差値で輪切りされた公立高校の普通科に行った。大学受験はさすがに「もったいない」という状況ではなく、無名私立の電子工学科に行った。まあ結果的にはそれで良かったかなぁと思っている。
8月末で転職するんだ、という人がいた。「なんか後ろめたい気分もあるんだよね」と言う。
ちょっと新鮮だった。前のカイシャは中途採用だらけで新卒がいなかったので、転職上等というか別に普通のことだと思っていたからだ。彼には「まあ、そんなカイシャにいたボクからすれば全然問題ナシ」と言っておいた。
それと、どっかで読んだ話。「受験とか就職とかの壁は自分の気持ちがどうあれ、その時が来たらそこにやってきて乗り越えなければならないけど、転職ってのはわざわざ自分で壁をそこに持ってきて超えなければならないんだよ」と話したら喜んでた。「それ、使わせてもらおう」と。
いや、ボクもどっかで読んだ話を再利用してるんですがね。
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