2005年6月25日

子供の教育方針

 どっちかというと、放任主義である。まったく口出ししないわけではないが、やりたいことは可能な限りやらせてあげたい。そのなかで、本当にやりたいこと、職業として食っていけるようなことを見つけて欲しい。

 学習塾に通わせて勉強漬けにすれば成績は上がるだろう。しかし、それは成績を上げるテクニックが一時的に備わるだけで、後々まで残らないのではないだろうか。もしかしたら「表面上の評価を上げるテク」が身について、サラリーマンとしても「出世の階段を上がるテク」に結びつくかもしれない。

 だがボクはそもそも「出世するサラリーマン」という道を否定している。植木等さんと同世代ならそれが成功の道だっただろうが、今は違う。

 働く形態がサラリーマンだろうが個人事業主だろうが起業家だろうが関係ないとも思っている。しかし、今後はサラリーマンであったとしても「表面上の評価を上げるテク」は通用しないと思う。今後は「誰にも負けない何か」が必要だ。その、「誰にも負けない何か」を見つけるために、色々なことを体験し、自分が得意な事を探し出して欲しい。

 趣味が高じると、どこかで必ず勉強の必要性とか楽しさに気付くと思う。マリオがジャンプしている曲線は放物線なんだ、と気付くだけでもかなり勉強が好きになると思う。マジで。昔、BASICでリサジュー図形を書いているだけで楽しかった。そういうキッカケがあって勉強したことは大人になっても身についているはずだ。

 趣味が高じる⇒勉強の必要性に気付く⇒その筋で世界一 というのがボクの理想である。学習塾⇒中高一貫教育⇒六大学⇒一流企業 と同程度の難しさだと思うが、落ちこぼれたときの挫折感とかが軽いのがメリットである。落ちこぼれたなりに(ボクのように)なんとなく幸せに生きていけると思う。理想どおりに行かないのが前提で、万が一理想どおり行けば一流企業のサラリーマンより上を狙える。

 ただこれは今のボクが考えていることであって、これが絶対正解だとは思っていない。究極の目標は「この家に生まれてよかった」と思ってもらえることである。その目標だけは死守したい。

 でも、「生んでくれと頼んだ覚えはない」とか言われるんだろうな。つーか絶対言う。言わないなら相当抑圧されて爆発寸前である証拠だ。「生んでくれと頼んだ覚えはない」と言われるのは一つの通過点だと思う。ボクが死ぬときに、「お父さん、ありがとう」と言われれば目標達成ということにしたい。

 最後に、お父さん、お母さん、ボクをパソコンヲタクに育ててくれてありがとう。

Posted by rukihena at 23:54:00
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コメント

るきへなカコイイ!

Posted by よすけ at 2005年7月 2日 00:18